指定種別・名称 国指定 史跡・見沼通船堀 |
概要 わが国最古の閘門(こうもん)式運河です。1728年(享保13年)井沢弥惣兵衛為永は幕府の命を受けて、用水路である見沼代用水を開削しました。この用水は浦和市大間木の付島から川口市神根を結ぶ八丁堤で、東縁と西縁が接近し、真ん中に芝川が流れています。そこで代用水を利用して、沿岸の村々と江戸を結ぶ舟運を計画し、1731年に東・西縁用水と芝川を結ぶ通船用の水路を開削ししました。通船堀は両用水と芝川との水位差が3メートルあったため、東と西の通船堀に各二か所ずつの閘門を設けて水位を調整し、船を上下させました。一の関、二の関とあるのが閘門です。 |
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電子地図帳Z[zi:]Uより引用 c1999 Zenrin CO.,LTD. |
通船堀の特徴 閘門の構造 3mの水位差を調節するために上下2ヶ所の関を使いました。川を中心に東西にある通船堀には、それぞれ2つの関があり、その間を閘室と呼びます。このため閘門式運河と呼ばれます。左の写真は東縁の二の関です。下の写真は東縁一の関です。 |
復元された通船堀東縁閘門 |
通船堀の仕組み 水位の差を調節するために閘室(関で仕切った内部)を使っています。 船が芝川に着くと人力で土手にから綱を引いて一の関まで引きます。一の関を通過すると、関に角落板と呼ばれる板を入れてせき止めて水位を上げます。10枚ぐらい入れると、水位が十分あがり、船は二の関まで引かれます。 二の関でも一の関と同じようにして、水位の上げられた船は代用水路まで引かれて通船が終わります。代用水路から芝川に下る場合はこれらと逆の手順で行います。 |
資料 小学館「スーパーニッポニカ」・水位調整実演の際の説明